ずーっと一緒にいるために

僕は21歳の時から親元を離れて自立生活をしている。
自立生活とは簡単に言うと"重度な障害があるなか、一人暮らしをすること"である。
一人暮らしと言っても、そこは身体が自由に動かせる健常者とは似て非なるものがある。

地域社会の中(いわゆる普通のアパートやマンションでの生活)で暮らすという点については同じなのだが、そこは僕ら身体が自由に動かせない重度障害者である。

日常生活のあらゆる点において、介助者(ヘルパー)の手助けが必要になる。
例えば、食事・入浴・トイレ等日々の当たり前の行為全てにおいて人の手が介在するのだ。

僕はこの自立生活を始め、色々な人と出会ってきた。介助者のみんなもそれぞれ個性豊かなメンバーが揃い毎日飽きの来ない日々を送っている。
この、言ってみれば一人暮らしなんだけれど生活空間に2人にいるという環境や、自分のことは必ず自分で決めなくてはならない状況という生活に身を置いてきて最近の僕にはなんだか

"自由がなくってきている"感じがしていた。

それは、愛する人の出会いでより顕著になってきたように思う。

自立生活は施設や病院と違い、いつ何をしてもその人の自由であるし、責任を取る覚悟あればどんな行動をしてもいいのである。これは社会における大人とされる人たちと同じだ。
しかし1つ違うところ、それは前述したようにそこには生活を支えてくれる介助者の存在があるのだ。
この違いが僕にとっては「自由を約束される足枷」といったら適切だろうか。
ヘルパー制度というのは法律によって定められておりできることできないこと、またしてはいけないことがある。そして何より介助を頼む、頼まれるという血が通った生身の人間関係がそこには介在するのだ。
僕はいつでもご飯を食べて、水を飲め、お風呂に入れる自由を手に入れたがそれと同時に、常にプライバシーを"誰か"の目にさらされる生活になった。
無論、日頃からこのようなストレスに晒されているわけではないし、介助者と共に過ごす日常を楽しむことも自立生活の醍醐味である。
このたまのストレスがある環境に向き合いつつ、日常の何気ない出来事を楽しむ。そうしながら一生を終えていく。そんな風にこの生活を広める自立生活運動にハマればハマるほど(自由の裏には責任あり)という考えに縛られていった。
でも彼女と出会って僕は目が覚めた。

それはこのブログでも何度か書いたかと思うが、自分の人生において、自分の幸せを求めていいということ。

彼女に恋をして、愛を知って
家族を持ちたいと思った。
そう思った時に、今の生活スタイルを変えることに対しての抵抗感も少なからず持っていたように思う。
それは、自分のプライドでもあり、そうしていないと批判を受けるかもしれないという自分自身の弱さでもあった。

だがここ最近、愛する人と話をしていて自分の弱さに気づいた。僕は幸せを求めることから逃げているんだと。
この特殊な生活環境がそうさせたかもしれないし、元来の性格なのかもしれない。
例えそうだとしても、その行為や考えは僕のことを愛して、これからの生活を共に歩もう決めてくれた人に対して不誠実だったと思う。

そんなことを思い、自責の念に駆られた。
それと同時に嬉しさも込み上げてきて、最後には感謝が残った。

彼女には愛を教えてもらったとずっと思っていた。
人を愛すること
人に愛されること

その素晴らしさを共に過ごす中で感じていたのだけれどもう一つ大きなことがある。
それは自分らしく生きて生きて生き抜けばいいということ。

自立生活をしていて、こんなことに気づいていなかったのかと言われたら恥ずかしい限りであるのだけれど、僕はこれまで「自立生活をしている重度障害者」として生きてきたのだと思う。そこにあるべき個人としての川崎良太は実は存在していなかった。

それを彼女がおしえてくれた。
3人での幸せを求めていく過程で、少しずつ解きほぐすように僕を僕に近づけてくれたのだ。

わがままでもいい。

一度きりの人生だ。



僕は今
君に会いたい。


良太の世界

川崎良太_official Web site 脊髄性筋萎縮症な僕と家族の物語り。 障害があっても地域で幸せに暮らしていく。

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